遠山 啓先生
私は、昭和35年(1960年)12月生まれで、昭和50年度(1975年度)福島県鹿島町立鹿島中学校を卒業、昭和53年度(1978年度)福島県立原町高等学校(原高)を卒業、昭和58年(1983年)3月に芝浦工業大学を中退。昭和58年(1983年)東日本美装,タカラ食品でアルバイト、そして、昭和59年(1984年)2月1日福島県原町郵便局に採用になり、昭和63年5月23日より福島県真野郵便局、平成2年5月23日より福島県原町南町郵便局、平成11年7月1日より福島県小高郵便局、現在、郵便局株式会社小高郵便局に勤務している。
さて、高校時代、私が何か数学でやらかして、日本の数学の世界ではとても有名な方と言う、遠山啓先生が我が校にやってきて、体育館で講演を行った。20分ぐらい話した後、中断し、並んで立っていた私のところへやってきてこう言った。
「君は天才かね?」
私は、右手を高く上げ手の指を鳴らすしぐさで、天井を見上げ、こう言った。
「生きてる!天才!」
遠山先生は、はっとしたらしく、それでも冷静でいた。そして、
「森君がね・・・」
と言った。私は、具合が悪くなったので、一礼をして会場を後にした。
何が遠山先生を驚かせたか、私は今でも分からない。ただ、数学の証明問題で、原高3年生で二人しが正解できなかった問題があった。そのうちの一人となり、私は「対偶命題は真である」から出発して正解を出し、もう一人は正面から説いて正解した。対偶命題から解いた私が珍しかったのかもしれない。しかし、正直告白すると、その問題と解答を見直した時、自分の回答が全然分からなかった。これぐらいしか、心当たりはない。
遠山先生は、芝浦工業大学の奨学金の面接まで追いかけてきてくれた。
遠山先生は、その年の9月に亡くなられている。
因みに、後年、原町南町郵便局時代、原町高等学校(原高)の「クマガワ」とかいう人から、局長に電話があり、「そこに、芸人がいるだろう。」という話から、私が現役女子高校生を前に数学の講義みたいのをやったときに、遠山先生のような白髪の先生と芝浦工業大学時代の微分積分の先生らしき人物がいたように思われるが、これは、妄想と思っている。でも、私は、講義の中身を憶えているから、性質が悪い。
「アインシュタインは間違ってる。」と。
さて、高校時代、私が何か数学でやらかして、日本の数学の世界ではとても有名な方と言う、遠山啓先生が我が校にやってきて、体育館で講演を行った。20分ぐらい話した後、中断し、並んで立っていた私のところへやってきてこう言った。
「君は天才かね?」
私は、右手を高く上げ手の指を鳴らすしぐさで、天井を見上げ、こう言った。
「生きてる!天才!」
遠山先生は、はっとしたらしく、それでも冷静でいた。そして、
「森君がね・・・」
と言った。私は、具合が悪くなったので、一礼をして会場を後にした。
何が遠山先生を驚かせたか、私は今でも分からない。ただ、数学の証明問題で、原高3年生で二人しが正解できなかった問題があった。そのうちの一人となり、私は「対偶命題は真である」から出発して正解を出し、もう一人は正面から説いて正解した。対偶命題から解いた私が珍しかったのかもしれない。しかし、正直告白すると、その問題と解答を見直した時、自分の回答が全然分からなかった。これぐらいしか、心当たりはない。
遠山先生は、芝浦工業大学の奨学金の面接まで追いかけてきてくれた。
遠山先生は、その年の9月に亡くなられている。
因みに、後年、原町南町郵便局時代、原町高等学校(原高)の「クマガワ」とかいう人から、局長に電話があり、「そこに、芸人がいるだろう。」という話から、私が現役女子高校生を前に数学の講義みたいのをやったときに、遠山先生のような白髪の先生と芝浦工業大学時代の微分積分の先生らしき人物がいたように思われるが、これは、妄想と思っている。でも、私は、講義の中身を憶えているから、性質が悪い。
「アインシュタインは間違ってる。」と。


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